くるくる

──哀しみ、悼むことで、私達の心は慰められるでしょう。けれども、そのために愛ある行動を、言葉を、慎む必要はありません。愛は悲しみにくれる誰かを助ける力になるのですから。


なにかのテレビだったと思う。血のバレンタインについてコメントを求められた時、ラクス・クラインが述べた言葉の一部だ。
甚大な被害を生み出すことになるユニウスセブンの崩壊は二月十四日、セイント・バレンタインデーに起こった。これをきっかけに、バレンタイン、そしてホワイトデーは自粛ムードだったのは仕方がなかった。その自粛を改めるように促すラクスの言葉は印象深いものがあった。今思えば、経済団体からの進言もあってかもしれない。それでも、愛を絶対だというように語るラクスの言葉は、尊く思えたのだ。
もし、たとえば、その時、まだザフトのアカデミー生の頃であったら、卒業前の最後の言葉として好意を告白するくらいのことをしたかもしれない。残念ながらこれは回想なので、自身の積極性を過大評価している可能性もある。
しかし実際はすでに彼はパイロットとして宇宙を駆け、私はモビルスーツのシステムエンジニアとしてコロニー内で開発に励んでいる。会う機会もなければ、彼はいつどこで死ぬかもわからない。『コロニー内勤務なら、比較的安全でいいな』と私に皮肉を言った同期は、今はどこの戦艦に配属されているだろうか? 宇宙へいった同期たちの船の行き先や異動先など逐一、覚えてやいない。
覚えているし、その都度、調べているのは彼のことだけだった。
私はハイネが好きだった。





アカデミーを卒業した後、その日まで顔を合わせる機会はなかった。一度だけ、日報でヤキンドューエでの彼の勇姿と叙勲が取り上げられ、一方的に文字と写真を凝視することはしたけれど。戦争を生き抜いた彼と、私の記憶の中で生きる彼と、少しずつすり合わせていく。いいように解釈していく。
そうやっていくうちに、きっと、いつかは目覚めるのだと思っていた。
遠い昔のお姫様がキスで目覚めて恋に落ちるように、理屈や言葉を尽くす必要がないくらい自然に、いつか朝が来て目が覚めれば、この恋も終りになるのだと思っていた。
その一歩手前だった。
素敵な恋だったと振り返るのにちょうどいいはずだった。
それなのに、ハイネに会ってしまったら、いとも簡単にまた夢に落ちてしまった。

停戦後に新たに立ち上がった機体のプロジェクトは、パイロット個人の能力にあったものの開発がメインで、そのテストパイロットに彼が選抜された。今までの彼の活躍を思えば順当であり、遺伝子学者でもあるデュランダル議長自らの推薦もあったと聴く。
それに引き換え、実績も助手の助手止まり、実際にメカニックとして同船したことのない私がプロジェクトメンバーに選ばれたのか。それはハイネとはアカデミー時代の同期で、知らない仲ではないだろう、機械一辺倒、職人気質で気難しく、コミュニケーションが不得手な人間もいるから緩衝材に、ということらしい。
これはハイネ・ヴェステンフルスという人間と接したことがある人間であればちゃんちゃらおかしい判断だ。アカデミー時代から、ほかのコースの人間にもとても気さくで、合同演習でも同じ班の意見を尊重しながらも引っ張っていた彼であれば、自身の力でメカニックとやりとりするに決まっている。私なんかより、ずっと人付き合いの上手い人だ。そういうところがひどく羨ましくて、とても好ましかった。

久々にハイネに会えることを嬉しく思いながらも、胸を張れることがなにもなくて落ち込みもする。プロジェクトの顔合わせの日、末席を汚す私は顔を赤くすればいいのやら、暗く陰らせればいいのやら。下っ端として会議室への案内役に廊下に立たされれば、否が応でも彼を迎える形になる。昨晩100回は練習した「久しぶり、覚えてる? これから宜しくね」という簡単な挨拶さえ口籠りながら呟く私に、彼は昔と変わらない軽やかさで応える。
!もちろん!こっちこそ宜しくな」
握手を交わすために差し出される彼の手。
それだけなのに、私の心臓の早鐘のようで、それから頭が痛くなるくらいに興奮しているのがわかる。恋って、もうちょっと可愛くていいんじゃないの。キュンキュンするとか。そんなことを思った。