小瓶を割る
















「遺品整理ですか。この艦でハイネと一番付き合いが長かったのは私ですしね、いいですよ」
雨が降ってきたから洗濯物を取り込みましょうね。がそんな調子だったので、シンは少し機嫌が悪くなった。シンは自身の感情の起伏が分かりやすいという自覚があったが、それを差し引いても彼女の様子はいつもと変わらないように見えたのだ。一番付き合いが長かったのに? そういう問いが渦巻く。どうしても基準を自分にしてしまう彼は、彼女がもっと悲しむそぶりを見せて当然と思っていた。
「でも、ひとりだと泣いちゃうので、シンくんも一緒にお願いします」
その台詞が冗談なのか、本当なのか、判断がつかなくて、でも、言葉が余りにストレートで、嘘っぽくて、シンにはが非情な奴に思えてしまう。
同行は断ろうとしたのだが、は遺品を入れる箱をシンから受け取ろうとしなかった。それどころか「もともとシンが依頼されたんですよね? デリケートなことではありますが、これもお仕事のひとつです。経験として必要だから頼まれたんじゃないんですか?」と正論を述べられては、シンは箱を置き去りに逃げるようなことはできなかった。恨むように箱を見つめていると、彼女が「そう、これもお仕事なんですよ」と繰り返す。シンは60セン四方の、子どもも隠れられないようなサイズの段ボールと対峙している。表情が見えないせいか、彼女の声色が悲しそうだったので、彼は幾らか許すことにした。


異性の部屋の扉を、は躊躇することなく開ける。すで個人認証用のロックは解除されており、それがこの部屋に主がいないことを強調する。ハイネは一人部屋で、偶然だったか、はたまたはフェイスとしての特権だっただろうか。同室がいないからこそ、シンに遺品整理の任務が回ってきたのだろう。綺麗に整頓されている、無機質、そんな印象の部屋。写真を飾ったりする趣味はないらしい。デスクの上のパソコンは、いつでも起動できるようにスリープモードのままだった。
「赴任したてで、そんなに散らかしてないから楽ですね」
ぐるりと見渡し、部屋の感想を述べると、はぽいぽいと手際よく、遺品を支給された箱に詰めていく。考えないのがコツだとシンにアドバイスをする。ザフトレッドの制服や衣服類は圧縮袋に詰めて。引き出しの小物は、小箱に詰めて、散らばらないように。
シンは連れてこられたはいいものの、彼女を眺めるくらいしかすることがなかった。泣いちゃうなんて、嘘じゃんか。ベッドの上で胡坐をかきながら思う。彼に観察されるように見られていることに気付かず、は、時折手を止めては、故人の情報をシンに教えてくれる。それが、彼女とハイネとの、仲の良さを示すようで、とても居心地が悪かった。その内容は例外くなくすべて、シンは知らないことだったせいもある。
「あ、知ってます、この素敵な万年筆、入隊祝いなんですって。これは大事にしまいましょう」
ハイネのハンカチを1枚引き抜くと、万年筆を丁寧に包む。
「んー、オーデコロンは割れちゃいそうなんで、梱包材をあとで持ってきますね」
小さな小瓶は、他と紛れないようにサイドテーブルに置く。それはふたを開けなくても、ぼんやりと匂いがしてきたが、一緒にいた期間が短すぎたシンには、故人を思い出す手掛かりにならなかった。は深呼吸をすると、長めに瞼を閉じていたが、それが瞬き以外の行為なのか、シンには判断がつかなかった。


「せっかくなんで、形見分けしましょう。どうせ、幾つかなくなったところで、ばれないので」
を見守ることにも飽きた頃、名案だと言わんばかりに彼女は言い出した。はたしてそんなことをしていいのか、シンには分からなかったが、軍という組織の中で非常識であるだろうことだけは分かった。「いいですよ、別に」と、興味なさそうにシンが言うと、「良いんですよ、別にー」と、ばれないから気にしないで、というニュアンスで彼女が返す。どうやら、はとても乗り気のようで、もしかしたら、生前、なにか、そういう約束があったのかもしれない。もしくは、何かを欲しがっているのは彼女の方なのだろう。
めぼしいものを探すように引き出しを開けていたかと思えば、彼女はふいに腕を伸ばしてきた。その手には、どこにでもありそうなデータディスクが握られている。
「シンくん、このデータディスクとかどうですか?」
「いらないですってば。第一、何が入っているんですか、ソレ」
反射的に聴き返すと、彼女は、ディスクを透視するようにライトの光を当て覗き込むと、小さく貼られたハートのシールを指さして、断言した。
「噂だと夜の……ほにゃららです」
あまりに予想外の返答に、シンは動揺を飲み込み、そして、なんでもない風を装うのに必死で、思わず咳き込む。いくらか赤面をして、思わず顔を伏せた。
なんてことを言うんだ、は! しかも、それを俺に渡そうとしたのかよ!
彼女を責める気持ちと同時に、故人に対する申し訳なさでいっぱいになる。相変わらず、は、どうってことない雰囲気で、ディスクを弄る。
「本人は家族や友人の写真だって言ってました」
しかも、本人に確認したことがあるのかよ。
口にはしないが、シンは心の中でつっこみをいれる。そんなシンの気も知らないで、は引き続きディスクを寄り分けている。
どうやら、軍のデータは青いラベル、私物は白いラベルらしい。白いラベルには、文字は書いてなかったが時折シールが貼ってあって、彼の中では個別認識が出来ていたのだろう。もしかしたら、本当に、そういう、ディスクもあるかも知れないとさえ、思わせる。
青いラベルのディスクは回収物なので、簡易的にリストを作って欲しいと、ここで初めてがシンに仕事を任せた。とりあえずと、メモ用紙に手書きで個数とラベルの表記を写し取っていると、彼女は白いディスクをすべて、段ボールへと詰めた。
「でも、エロ関係はそうだと伝えておかないと大変なんですよ? うっかり家族のもとにSMもののエロ本が帰ってきちゃって。悲しめばいいのか、笑えばいいのかって」
ちなみにこれ、友人の体験です、気を付けて下さいと、は年長者らしくいらない注意をする。老婆心だ。シンは、その言葉の内容ではなく、身寄りのない自分の遺品が、どこに帰るのだろうと心の片隅で思った。その間の無言が、彼女に斜め上の想像をさせたらしい。
「……覚えがあるの?」
「違います!」
慌てて否定をすると、シンはリストを一行、書き損じた。別に後でPCで打ち直すからいいだろう、彼は一行をザっと線で消す。は、最後の引き出しに取り掛かっていた。
「どこかにいい紅茶を持ちこんでいるはずなんですが……あれは、私たちでおいしく飲んじゃうほうが、お茶も本望だと思いませんか」
どう、本望だというのだろうか。「っていい性格してるよね」と告げると「ありがとうございます」と返される。皮肉に怒るでもなく、文字通りに受け取って喜ぶでもない。ニュートラル状態の彼女はのんびりとした表情のままだった。


部屋の整理はほぼ終わり、紅茶缶もトランクの底から見つけるとは自分の懐に入れた。シンもディスクのほか、支給品であるパソコン類のリストは作り終わっていたし、洗濯にまわすリネン類もすでに分けてある。あとは割れものの梱包材を探すくらいになった時だ。あっ!と突然、彼女が声をあげた。は真剣な表情で、シンを見つめると、両手を合わせて頼み込む。
「多分、更衣室に直前まで着ていた制服があるはずです。男子更衣室に私がとりにいくわけにもいかないので、シンくん、お願いしていいですか?」
「はいはい、じゃあ、行ってきます」
やることも終わっていたし、シーツをはいでしまって、ベッドに座ることもできず棒立ちだったシンが素直に返事をすると「制服を抱きしめて、こっそり悲しんできてもいいですよ?」なんて、が背中から声をかける。
「しませんってば!!」
きっと、天気の話をしている時たいな、へらりとした顔で話しているんだろうとシンが振り向くと、はきょとんとシンを見つめる。その頭には、まるで疑問符がのっているかのようだった。
「そうですか、私は人目が忍べるなら、そうしますね」
そう言うと、はまた、長めに瞳を閉じている。
瞼の下の涙をとどめるようなその仕草に、シンは逃げるように更衣室へ逃げた。更衣室手前でちょうど整備班から声がかかる。どうやら、MSの整備チェックで呼ばれたようで、入れ違いだったレイに制服回収の要件を任せて格納庫へと向かった。
だから、そのあと、がハイネの制服を抱きしめたのか、泣いたのか、シンは知る由もないし、知りたいとも思わなかった。





















何かの感覚を失うと、他の感覚が研ぎ澄まされる。

ライトを消した自分の部屋で、私の嗅覚は、
そうやって優秀になったはずだったのに、
枕元におかれた空っぽの紅茶の缶からは、
名残さえ感じられなくなってしまった。
匂いが消えてしまった、
もしくは、私の鼻が慣れ切ってしまったのだろう。

これが、例えば、なみなみと液体を湛える香水の瓶を割ったとしても、
そのうち、芳しさは大気中に拡散し、褪せ、同化し、
消えたと感じる瞬間が来るのだろう。

問題は、遅いか、早いかだけで、永遠はそこにはないのだ。

あの甘露な匂いや、私の名を呼ぶ声や、世界一の微笑みは、
目を瞑るだけで、いとも簡単に、永遠のものとして、
五感を介することなく、脳内に信号となって、
いつまでも降り注ぐ。







私の心臓が、本当に止まるまで、私は幾度だって、
心臓が止まりそうになるんだ。