きみの冬にまにあえば
あぁ また 間に合わなかったなぁ
そんなふうに思う。間が悪かった。タイミングが良くなかった。逃してしまった。過ぎてしまった。遠くの端っこの方で、空は薄灰色と橙色を纏っており、ほんのりと暗い、この時間帯によく似合う、小さな無念のようなものだった。
実のところ、直感的に間に合わなかったと感じただけで、正確には、時間が早すぎてしまうものだから、間に合ってしまったと言うべきなのかもしれない。買い物袋を持っているせいで少し手間取りながらも、手袋とコートの袖を掻き分けて、隙間から見つけ出した腕時計を見つめる。夕方四時、少し前。
街路樹や、電灯や、アーケードの、鈴なりのように巻きつけられた小さな電球を見上げる。フィラメントはしん……と静かにしたままで、それを包むガラスは向こうの黄昏を透けさせている。
あぁ、まだ、イルミネーションが灯るのには、早すぎる。
通学で使っている最寄り駅にイルミネーションが取り付けられたのは、一ヵ月以上も前ことになる。まだ、私が制服のシャツの下にキャミソール一枚しか着ていなかった季節の話だ。もはや長袖のヒートテックをはじめとして、セーターとタイツ、マフラーで完全防御に徹す、十二月末。
地元駅には、バスロータリーから続くように気持ち程度の広場があり、木々が沿うように植えられた遊歩道を行くと、大型ショッピングセンターに辿りつく。そこら一体がイルミネーションで彩られ、更にショッピングセンターの中庭のような場所には大きなクリスマスツリーが設置される。今年は全体的にデザインを一新したとかで、今をときめくアイドル招いてダ大々的に点灯式が行われたそうだ。
日々、通学で利用する駅ではあるが、三年生の冬ともなれば部活は引退済みであり、授業が終わるとともに真っ直ぐ帰宅して夕焼け小焼けのチャイムを家で聞く生活をしていると、イルミネーションが点灯しだす五時というのは、家の炬燵で蜜柑を食べつつ、猫をじゃらして遊んだり、猫に冷たくあしらわれたりしている時間だ。
運動部や吹奏楽部に所属する子達は、すでに高等部に混じって部活に勤しんでいるらしいのだが、ゆるい文化部希望の私には縁のない話で、クラスメイトの幸村くんが、テニスバックを背負っている姿を眺めるのみ。
と、なると、毎日のように目の前を通り過ぎながら、電飾がついていることを知りながら、それらが光り輝いている瞬間に一度も立ち会えず、今に至る。夜が来たら、当たり前のように煌めくだろうに。もしかしたら、もう見飽きてしまった人もいるかもしれないのに。
来年の二月末まで続くらしいので、それまでには機会があるだろうと、わざわざ見に行くことはしなかった。寒いし。うちの猫とごろごろしていたいし。
今日は惜しかった方だろう。日曜日の午後からショッピングセンターに足を運び、ゆっくりとウィンドウショッピングに興じた結果、猫のおもちゃと、本を一冊購入し、遊んだなぁ、歩き疲れたなぁ、なんて思いながら施設を後にした。自動ドアを通って外にでると、空はまだまだ、星の瞬きを見失うような明るさで、ライトアップが映えるほど暗くはない。街灯だけが、我先にと明かりを灯している。
時間は先ほど確認した通りで、あと一時間ほど、どこかで時間を潰せば晴れる無念ではあるのだが、せっかく、恐らく幻想的で、恐らく美しい、イルミネーションを見るための暇つぶしだというのに、マックに入るというのも、なんとなく味気無い。仕方ないので、今日も間に合わなかったなあ、と帰宅を決め込み、ショッピングセンターを後にした。
我が家は駅方面に戻った向こう側にある。遊歩道をゆっくりと行けば、樹の幹に巻き付く黒い電源コードと電球がありありと見て取れた。それは植物が水を吸い上げる導管のようで、さしずめ電球ひとつひとつは色を持たない新芽のようだった。もしくは、透明に光る朝露。そんなことを考えながら、二歩ごとに木を追い越し、広場までたどり着く。
そうやって、少し見上げながら歩いていたことと、これは言い訳なのだけれど、見慣れた深緑の立海の制服とチェックの指定マフラーではなく、白いボアコートにサーモンピンクの毛糸のマフラーという私服姿だったことから、私は声をかけられるまで、近くにいる人が幸村くんだと、まったく気が付かなかったし、思いもしなかった。
私からしてみれば突然の登場に、声もなくぎょっとすると、彼は「驚かせるつもりはなかったんだ」と謝罪の言葉を口にした。しかし、手は口元を抑えて笑っている。
「まだ光が灯ってないのに、熱心に見てる人がいるものだなって思ったら、知った顔だったから、つい」
そう言って、先ほどの私と同じように木々を見上げた。
「ああ、なるほど。こうやってイルミネーションの電飾って取り付けられているんだ。蔦が這うみたい」
彼はつぶやきながら身体の後ろで手を組んで、更にまじまじと観察をしている。私は、青みを帯びる髪の毛が揺れる、その後ろ姿を観察している。
彼の手に握られているショッピングバッグには、あのショッピングセンター内にあるスポーツ用品店のロゴマークがあしらわれている。確か幸村くんの地元駅はここではないはずなので、わざわざと遠出をしてテニス用品を買いに来たのだろう。彼のお眼鏡にかなった品があったことに、勝手に地元民として嬉しくなった。イルミネーションの点灯式に一度も来たこともないような地元民だけれども。
それにしても、こんな所でばったり会えるなんて、タイミングが良すぎる。すごく、すごくすごく嬉しい。この時の為に、ずっとイルミネーションに間に合わなかったのだと言われたら、なるほどと納得するだろう。幸村くんは私にとって、見つめていたい、そういう人だった。優しく光り、綺羅びやかさを感じる人だった、
私もさっき、まるで植物みたいって思ったんだ。
それもまた、すごく喜ばしかった。そのことを告げようか。でも、どうしようか。そんなことを考えていると、観察を終えた幸村くんが振り返り、そして、目が合う。
「地元、だよね? ここらへんは何色に光るの?」
「あ、あー……知らなくて。今年からリニューアルしたんだけど、まだ見たことなくて」
ごめんと続けると、まるで狙ったかのように四時を告げるチャイムが鳴る。ふたりで無言のまま『赤とんぼ』を聴き終えると、幸村くんは先ほどの私の申し訳なさを耳にしていなかったかのように、ねぇ、と質問を増やした。
「近くにカフェとかってある?」
「え、えーっと、ショッピングセンターまで戻ればいくつか。この先の広場から脇道に入った所のケーキ屋さんにイートイン。あとは駅にタリーズとファミレスだけどサイゼ」
「じゃあ、ケーキ屋さんでどう」
首をかしげるような仕草と唐突な提案。どう、とは。私は真似するように首をかしげると、幸村くんは「話をはしょってごめん」と言ったけれど、やはり悪びれる様子は無く、代わりにボリュームのあるマフラーに口元を少しうずめた。
「あと一時間もせずにイルミネーションは始まるだろう? 一緒に待つのはどうかな。このあと用事がなければ、だけど」
「え……あ、あぁ! はい! 私でよければ、だけど!」
勢いよく返事をすると、彼は、私の勘違いでなければ、楽しそうに少し笑った。
ケーキ屋さんのイートインは、記憶していたよりも席数が少なく、奥まっていて、狭く、気を付けないと会話が店員に筒抜けになってしまうほどで、テーブルも小さければ、正面に座る幸村くんと膝が触れそうになる。でも、大皿料理が並ぶレストランやランチも提供するカフェとは違うのだから、こういうものと言えば、そうなのかもしれない。自然と囁き合うような形になり、まるで密談のようだ。
私は背の高く足の長い人に狭苦しい思いをさせていないだろうか、距離が近いこの僥倖に明日に死ぬのではないか、と一秒ごとに心配になる。消えたくなって、でも、絶対に、消えたくなかった。
幸村くんは私の心配を知る由もなく、フレジェというフランス版ショートケーキをつつき、良い香りのするお茶を飲んでいる。種類としては紅茶ではなく緑茶らしいのだが、その液体は群青色を溶かしたかのようで、青茶だなんて、そんなことを呟いていた。
それから、今日は寒いねに始まり、おうちのサンタは妹のために続行中で、自分も去年はこのマフラーを貰ったんだとか、もう持っている画集をプレゼントされたことがあり、古いほうはクローゼットの奥にしまっているだとか、今の季節は庭に天使の姿をしたガーデンオーナメントを飾っているだとか、その天使によく似た絵を見たことがあるけれど思い出せないだとか、そういう取り留めないことを話している。
ふと時計を見ると、五時を少し過ぎていて、この席からだと窓の外は窺えないけれど、ライトアップの時間には充分のようだった。