点たちが線にかわる

what’s the color of the sun?










 宇宙港のゲートラウンジは、ひどく込み合っているわけではなかったが、ソファはほとんど埋まり、絶えず人の声が行きかっていた。自動アナウンスがトイレは百メートル後方だと繰り返し告げ、カートのタイヤがカラカラとせわしない音を立て、清掃ロボが放つピコーンという警告音と相まって、ハイネは出発が遅れるという案内を半分聞き逃した。
 どの便がどのくらい遅れるって? 
 本当はソファの背もたれから上半身を浮かせなくたって、手元のモバイルから顔を上げなくたって、じっとしていればアナウンスは繰り返されるだろうけれど、とっさに出てしまった行動を慌てて翻す必要もなかったので『身を入れて聞いています』というポーズのまま『繰り返しお伝えします』という係員の言葉を待った。ただ、重要なところは後ろに座る男の、馬鹿にでかいくしゃみで掻き消された。近くの電光掲示板を見るのが早いときょろきょろしたタイミングで、左隣から穏やかな女性の声がした。
「……STL008便が点検で三十分ほど遅れるそうですよ」
「あ、ありがとうございます」 
 礼を告げながら、ハイネは思わず眉を寄せた。自分が乗るシャトルだ。運が悪い、出鼻をくじかれた感がする。アカデミーを卒業し、ザフトに入隊することを晴れの門出と表現することが適切かは別として、新入隊員として初配属を言い渡された戦艦へ、合流のためのフライトだった。ケチを付けられた様だ。半ば倒れるようにしてソファにもたれる。モバイルを胸ポケットへ仕舞い、前へ回していたボディバックからミネラルウォーターのペットボトルを取り出すが、口につけるでもなしに両手でいじる。それらの緩慢な仕草に答えるように、また左隣の彼女が声をかけてきた。
「乗られる便でしたか? 私もです」
 眉を下げた困り顔を見せる。柔和な表情と薄化粧のせいで幼く見えるが、たぶん、自分より少し年上だろうとハイネは見当をつけた。チャコールグレーのハイネックに黒のチュールのロングスカートで、右手で文庫本を開いた状態で持っていた。おなかのところに乗せた黒いポシェットは小さく、手に持った文庫本を入れたら何も入らなさそうなものだったので、ハイネは電子版にすればいいのにと頭の片隅で思いながら答えた。
「そうです。お互い、運が悪かったですね」
「ええ。そう、運が悪かったですね……でも、まあ、点検なら仕方ないです」
 言葉にすることで互いの不幸を分け合う。行きずりの彼女は栞を指さずに本を閉じた。
「あの、飲み物を買ってくるので……すぐに戻りますので、あの……」
「ああ、席、見ておきますよ」
「ありがとうございます」
 シャトルの遅延となれば、これからラウンジはより混み合うだろう。待つと分かっているのに、今まで座っていた席を手放すのは惜しいのはよく分かる。それから、彼女に連れがいないのだと判断した。
「本は邪魔じゃないですか?」
「あ、あー……ええ、そうですね。置いておきます」
 彼女がそっと本を置いたことによって、ハイネの仕事はほぼなくなった。本をどかしてまで席に座ろうとする輩がいた時だけ声をかければいい。そういう奴がいないわけではないが、ごく少数だろう。彼女はコンビニエンスストアとチェーンのコーヒー店と自動販売機の三つを見比べ、自動販売機へと脚を向けた。そこが一番すいていて、本当にすぐに彼女は戻ってきた。
 ほんの少しの間の席の警備に彼女は礼を言うと、右手に文庫本を、左手に缶コーヒーを持ってソファに座る。スカートの裾をさばかなかったものだから、チュールがいっぱいに広がり、肘掛けにぶつかって複雑な皺を作っていた。チュールが何層かに重なって作り出されたモアレに、アカデミーのシミュレーターで見た宇宙を思い出す。一機、型落ちだか処理落ちだか故障だかで、モニターがモアレやすいのだ。訓練ではその一機に当たらないよう祈るのだが、先輩から「モニターに異常があった時の訓練になるから有り難く使えよ」と、それが狙った仕様であるかのように言われたことがある。冗談だ。でも、さもありなん。仲間内でモアレ機を使ってハイスコアを争う遊びをしたこともあった。ただ、それは、遊びだからであり、これから実地に出るとあってはモアレてくれるなと祈るのだ。
 やっとミネラルウォーターのキャップを開けて、一口飲む。それを待っていたかのように、彼女は三度、声をかけてきた。穏やかな声色はそのままだけれど、先ほどより慎重さを含んでいるようだった。
「あの、突然ごめんなさい……貴方はザフトの方?」
「そう……ですけど、でも、入隊したばかりで。これから配属先に行くんですが、何か?」
 返答自体は彼女が求めていたものだろうが、躊躇うばかりで続きがない。ハイネはどうして自分の身分が分かったのだろうと考える余裕があった。シャトルの行き先は、確かに目的の軍基地がメインだが、住宅街もある都市だ。今は制服含め、軍支給のものは身に着ていない。先ほどモバイルで見ていたのも辞令やザフト関係ではなく、暇つぶしの芸能ゴシップだった。仕草や雰囲気で漂うものも無いはずだ。なぜならハイネはザフトに所属こそすれど、まだ実務についていない。あてずっぽうだろうか? 彼女の言葉はまだ彷徨うようなので、話を逸らすわけではないがなんとなく理由を聞けば、その白い指でハイネの手首を差す。
「その腕時計、いわゆるミリタリーウォッチですよね。父が……ザフト兵士なのですが、父も同じものを着けていました」
 ほとんどあてずっぽうじゃないかと思う気持ちの方が大きかった。時計に関しては、一定の性能基準をクリアしていれば、軍の支給品以外も使用許可が出ている。ハイネは勤務用とそれ以外とで二つ用意し使い分けることが面倒だったので、どちらでも使えそうなデザインの時計を着けていた。それだけ出回っている時計の性能が良いということであり、そしてファッションとしてミリタリーウォッチをつける人も多いということである。となれば、腕時計だけでは判断基準になりえない。ただ単に、彼女の中で時計とザフトがよく結びついているというだけの話だった。
 しかし、その閑話休題のような内容が彼女を決心させたのか、やっと、ハイネに問いかけた。

「かみさまは いる?」
 
 彼女の声は少し、震えていた。それからすぐに、プライベートなことをごめんなさいと謝られる。確かにどの宗教を信仰するかは、個人の自由であり、場合によっては気軽に打ち明けたくないプライベートなことではあるけれど、ハイネにとってそれは重い話ではなく、むしろ質量は無いに等しかった。祈ったとしても、その先に具体的なものはいない。形骸化した行いだった。
 進化論を唱えながら天地創造を信じていた時代は、ジョージ・グレンが宇宙クジラを発見するとともに終わりを告げた。一応、家庭内の道徳教育の一環として残ってはいるが、それは神聖さとして残っているわけではなく、教訓話としてちょうどいいだけだと思っている。アイデンティティの拠り所でもない。だから、いまさら、神様と言われても反応に困る。
 ハイネは自分に問うことは間違いなのではないかという違和感を拭えないまま、「神様?」と、とりあえず繰り返す。すると彼女は狼狽え、ひどく申し訳なさそうにした。
「違うんです、よく父がそういう言い回しをしていただけで……貴方がザフトに所属する上でなにか信念や信仰を持っているのかどうかが知りたくて……ああ、でも、それこそ、プライベートな内容ですよね。聞かなかったことにしてください」
 そう言われて、ハイネはなるほどと合点がいった。正直、ザフトに行くと決めてから、この手の質問は何度繰り返されたことがある。宗教を信じ、聖戦だと謳って侵攻していたときとは違う。個人の職業や、宗教が認められる中で、どうしてザフトなのだと。義勇軍への参加を諸手をあげて送り出した時代とも違う。
 何度も決意を問われる。その度に答えるけれど、それで本当に相手が理解や共感や納得をしたかどうかは気にしないことにした。結局のところ、自分がどう考えるかであって、それが揺らがないものであるかどうかの強度を試されているのだと感じていた。
 突き詰めると、自分が誰かを殺す事実と、自分が誰かに殺される可能性といった、どう死を受け止めるかという問いであって、昔であれば生死観とは宗教に縋っていた命題だろう。何千年も神に裏付けさせていたものを、個人が簡単に答えを出せるものではなく、ハイネは戦場をかける自分と、それ以外の自分を区別することで折り合いを付けていた。いや、つけようとしている。
 隣に座る彼女は、なぜ回答を探しているのだろうか。行きずりの彼女に問う方が、よっぽどプライベートに立ち入っている気がする。躊躇していると、彼女は缶コーヒーのプルタブを開け、勢いよく飲み出した。まるで全力疾走を終えたあとのドリンクのようにコーヒーを煽るものだから、案の定、咽こんだ。ハイネが心配する言葉をかければ、「ごめんなさい」とだけ言って席を立った。空の缶を捨てに行っただけともとれるが、文庫本も持っていったので席の守りはしないことにした。目ざとく空席を見つけた別の女性が左隣に腰を下ろす。白いパンツスーツだった。
 彼女とは、シャトル内で隣り合うようなことも、目的地の空港で鉢合わせることもなく、それっきりだ。 



*



 自分が機体とともに戦艦から吐き出され、散らばる星々がまるで流星のように弧を描いた線となる時、ハイネは彼女の言葉を思い出した。
 神はいるか。
 自分の信念は、彼女の言うところの神様なのかもしれない。縋って祈る、宛て。
 けれど、たぶん、これから何回もリフレインするであろうこの神様は、自分にだけ都合がよく、自分にだけ微笑む。
 いま、コックピットの中で、自分が機体と一体化するような感覚を探る。熟練したパイロットは自分の手足のように機体を操ると言うが、そういう話ではない。
 自分は戦争の兵器だ。
 モニター端の敵MSの信号も、ただの兵器だ。
 生きるとか死ぬとか、殺すとか殺されるとか、そういう話では、ない。



*



 ところで、幾年か後になって噂に聞いたことだが、あの配属先では少し前にパイロットが一人、宇宙での戦闘中に亡くなっていた。壮年の、厳つい顔の男性だったらしいが、運よく回収できた遺体は首から上はつぶれていた。
 地球で長きにわたり宗教上の理由で土葬であったが、土地不足や衛生的理由から火葬が一般的になって久しい。プラントでは土地不足はなおのことで、そのパイロットももちろん火葬だった。彼の棺には花々のほか、彼が愛読していたという本が一冊、副葬品として添えられたらしい。普段は電子書籍で読んでいたが、彼の娘が一緒に火葬するためにわざわざ紙版を家から持参したそうだ。遺骨のほかに、腕時計を遺品として持ち帰ったというその娘は、父に似ず柔和な顔立ちだったという。









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