日差しの降り注ぐ日
what’s the color of the sun?
ディオキアの軍基地ではなく、アナトリア高原に直行せよという指令が下った。
宇宙から地球に降りた途端にミネルバへの増援命令。ミネルバは奇襲をかけられピンチだそうだ。アーモリーワンで三機を奪取したという、あの部隊に。
旋回する艦体。騒がしくなる通信。オペレーターの声が艦内に響く。
「まるでトラブルメーカーよね、ミネルバ」
小さく呟いたはずのその言葉は、近くにいたハイネには聞かれてしまったらしくて目が合った。とりたて私を非難するでもなく、にやっと笑うとハッチへと向かって行く。
普段、宇宙ではコロニーや小惑星、デブリ、そして敵艦を含め、宇宙船だけを気にしていればよかったが、地上戦ではそうはいかない。どうやら地球軍に地の利をとられ、ミネルバは両側に切り立った崖、下は細い河川、とすれば前後しか自由しかないところを見逃してくれるわけがなく、奪われたMSとそれから隊長機と思われるMAに攻めやられている、らしい。
まだ、距離がありすぎてカメラがミネルバをとらえていない。レーダーと3Dマップをモニターに映し出し、入ってくる通信から予測する。
地上戦のシミュレートをしたことがないわけではないが、やはり、地球軍のほうがお手のものといった感じがする。特にミネルバは新造戦艦で地球に降りて……いや、降りざるを得なくなって間もない。海上で一戦交えているが、こんなに山がちで身動きの取れないところに襲撃を受けて、スマートに対応できるほどあの艦のクルーは育っていないことを敵も知っているのだろう。スマートにできるかどうかは、増援として配備された我々も同じではあるが。
宇宙からディオキアに向かう手はずだったのに、こんなに早くお呼びがかかるとは。もちろん、遠足気分で地球に来たわけではないけれど。戦争でさえなければ、と思ったのは私だけではないだろう。
先の大戦では、もっぱら宇宙での防衛を任されており、地球にはついぞ、行くことはなかった。その時は今と同じく、黒い制服に身を包み、副艦長として指揮系統を担っていたし、同じ艦にハイネがいた。彼はこのあと、ミネルバに転属が決まっている。ここでミネルバが大打撃なんてことになったら、この艦はハイネを手放さずに済むだろうか。そんなことを一瞬でも考えた。
自分の所属する艦が戦闘に参加しておきながら、大打撃なんてことはさせたくない、という感情を、まあ、なけなしのプライドとして持ってはいる。
自分用のサブモニターに映し出されたレーダーを睨む。地の利をとられては、分が悪い。それに……
「防護優先……にしても、出てるのがインパルスにしては動きが少ない気がしません? シン・アスカってもっと積極的な戦闘スタイルですよね?」
映像での状況がわからない以上、推測の域は出ない。しかし、もしや機体に損傷があるのでは? そう伝えると艦長は眉間にしわを寄せる。
今まで以上に艦橋に緊張が走る中、ハイネたちMSパイロットの出撃用意が完了したことを伝えるアナウンスが流れた。艦長が一呼吸置くと作戦を伝える。
「機動力のあるハイネが先行して出撃。ミネルバに援軍がくることがわかれば、向こうの出方も変わる。ほかの二人は詳しい状況がわかり次第、連携の取れる位置で待機だ」
『オーライ!ハイネ・ヴェステンフルス、グフ、いくぜ!』
*
ハイネの活躍をもって増援としての役目を果たし、当初の予定通りディオキアへと向かうことになった。いや、はじめはミネルバとは基地での合流だったから、二隻揃ってのこの光景は予定外だ。
それともう一つ、本来ならディオキアの地に着いてから、ハイネの転属に必要な事務手続きを落ち着いてするはずだった。しかし、先の戦闘の都合でスケジュールが前倒しになるそうで、移動中に色々と書類にサインをしなくてはならないらしい。なんてせわしない。今は戦争中ではじめからゆっくりとする暇などないのだが、頼りになるエースに休息すら与えることができないのか。書類を用意するため先に副艦長室に戻ると、思わずため息が漏れてしまった。
確かにメインMSが損傷しているともなれば、悠長にはいられないだろう。読み通り、攻撃を受けたインパルスは万全でなく、機動力に欠けた状態でミネルバを守っていた。ハイネを先に行かせて正解だった。最終判断を下すのは勿論艦長だが、私の観察力があってこそだと褒められる。ただ、それくらいでは私の機嫌はよくはならない。冷静だとよく言われるが、一度、頭にくると後にこじれるタイプなので、まだまだ、ミネルバのことを恨んでいるのだ。
ほどなくしてノックの音が響く。ハイネが敬礼のち「副長、お邪魔します」といつもの自信のあふれるような笑みを見せる。
ハイネはその明るく気さくで、兄貴分で、そして人の機微に敏感で、ため息をついているような人をほっておくような性格ではないし、きっと機嫌の悪い人にもそうだろう。
似たような文言は彼の業績とともにミネルバ宛の報告書にも書き連ねておいた。新しい艦での彼の印象を良くするに越したことはない。すでに送付済みの報告書ではあるが、先ほどの戦闘によって実力は示している。ハイネの性格もきっとすぐに報告書以上だと知ることだろう。結局、私が言葉を尽くしたところで、彼の暖かな人柄は触れてこそなのだし。私は前髪を直すふりをして、それとなく眉間の皺を伸ばした。
お疲れさまとお互いに声をかける。ローテブル越しにハイネを目の前にすると、やはり、不満が漏れてしまいそうになる。ともに闘い、信用している優秀な人間を手放すのは癪だ。いくら上からの命令で、いくら彼が評価されての異動で、いくら彼が必要とされていると分かっても、この艦だってハイネを充分と必要としているのに。
すでに事項を記入し終わり、あとは私のサインを待つだけの書類が数枚。電子データのサインレス時代に残る最後の悪習。この手元の書類を引き裂くような馬鹿なことはしないけれど、呪いをかけるようにペンに力を籠めるといくらか気分は晴れたが、私のサインはいびつなものとなった。紙を重ねてハイネに渡せば「……副長の字って、もっと丁寧じゃなかったでしたっけ?」と問われる。
「書き直す?」
確かにあまり美しくない。字が人柄を表すとは思わないが、いただけない出来かもしれない。上に出すだけの形式的な書類なので、気にしないと言えば気にしないのだが、ハイネに不出来を指摘されては直すほかない。
「いえ、いつもと違うから何かあったのかと思っただけなので」
「気にしないで、八つ当たりだから」
「八つ当たりですか、珍しい……戦闘前のトラブルメーカー発言もですけど」
「不謹慎?」
「いや、俗っぽいのが意外でちょっと面白かったかな?」
そう言って、彼は私のことを観察するように見つめる。どれくらいのことが彼に見透かされているのだろうか。
「俺でよければききましょうか? どうせすぐにこの艦からいなくなりますし、身内の愚痴でもなんでも、どーぞ」
そう声をかけてくれるあたりは、問題の核はわかっていないのかもしれない。
心配をさせまいとしていたのに気づかれたのは私の失態だけれど、でも、この状況を期待していた気もする。しかし、ここで全てを吐露するわけにはいかないのだ、特に彼には。私の美しくない希望は。だから世間話で話題をそらすしかない。
「……だって今回、私たちはハイネの運搬係のようじゃない?」
「それはそれは……手を煩わせてしまって」
「それにこのあとはジュール隊と合流でまた宇宙だし……でも、あなたの謝ることではないわ。上の都合だもの」
地球も来てみたかったしと締めくくると、彼は諦めたように小さく笑うと、今後のスケジュールの確認という事務作業に移った。
言うわけにはいかない、ハイネをほかの艦に手放したくなんて。ともにいたかったなんて。あなたがいるだけで、柔らかく、心地よい、日差しが降り注ぐようだった。薄いピンクのカーテン越しに、微睡みを連れてくる。それは恋とは違っていたけれど、とても近いものであると思う。
戦友というのが本当は正しい関係性なのだろう。彼を讃えて送り出すことのできない自己中心的な考えを持つ私が、戦友を名乗るのもはばかられる。同じ艦に乗り、お互いに命を預けあっていた。そういう時間を尊いと美化するのも、戦争を肯定するようで許せない。だから、結局、この本心は箱の中に閉ざし、口をつぐむほかないのだ。
用事が終わるとハイネは何か言いたげな目線でいたが、最終的に握手を求めるしぐさで何かをごまかした。
すると、いつもは副長と呼んでいた彼が珍しく、と私のファーストネームを呼んだ。快活で、歯切れのいい彼にしては珍しく「また……」と言葉をフェードアウトさせながら握っていた手を離す。
そういう彼の一挙一動が私の気持ちを高揚させ、ハイネを惜しむ言葉を言わせようとしている。それでも、口にしない事が私の最後の砦なんだと思う。その砦を越えると何があるかは自分でもなんとも形容しがたい。ただ、いつもの面持ちで彼を見送ることができなかった。
では、と敬礼をする彼の笑顔が眩しい。小さい仕草でそれをかえす。小さな靴音を響かせて、彼は部屋から出ていった。