どうかしてる
what’s the color of the sun?
※ハイネ生存ルート
※ガイアの攻撃は大怪我に終わったという設定。
中途半端に伸びた髪が首に当たってくすぐったくて、ハイネはそのオレンジの髪の毛を束ねるようになった。もともと長めのミディアムヘアだったが、開戦となってからは髪を切る暇も余裕もなかったのと、ダーダネスル海峡での一戦以降、病院生活であるため、いつもなら気を遣っているはずの髪も、だらしない一歩手前となってしまった。
九死に一生、紙一重、間一髪で一命を取り留めたのだから、髪型が気に食わないことくらい、取るに足らない。
──結んだ髪型もかっこいいですね
世間話なのか、リップサービスなのか、それとも本心なのか、角刈りがよく似合う担当の看護師はそう言った。患者を介助するためか、彼の二の腕は太い。ベッドの上で半身を起こしているだけのハイネに対し、彼は脇の丸椅子に座って体調チェックを記入する手を動かし続けている。
案外、髪を洗う時に長いと面倒だという嫌味かもしれない。座る分には問題ないが、ハイネはまだ誰かの助けがなければままならないことが多かった。大怪我だったわりに脳部分には怪我はなく、手術も行わなかったので、邪魔になる髪を無抵抗に刈られることはなかった。幸いにも。
だから、後日、髪の毛切りますか?と例の看護師に問われた時、一瞬、バリカンを覚悟した。
さよなら、俺の長髪、儚く散るがいい。
ハイネの頭の中で、いつか見た戦争映画のテーマソングが一瞬、流れた。それは非業の死のイメージで、髪を刈り上げてしまうことが、彼にとってどれだけつらいかをよく表していたが、看護師はもちろん、そんなハイネの心情など知る由もない。
だが、よくよく聞いてみれば、月に二回、美容師がこの病院にやってくるとかで、忙しい医療従事者のために出張でカットしていたことから始まり、今では患者のためにボランティアで髪を切っているらしい。
長い入院生活を強いられている患者には、心理的治療の一部でもあるそうだ。そういえば、同じ理由で介護の現場でもプロのメイクアップアーティストが化粧に来る、なんて話は聞いたことがある。おしゃれをすることは、いつでも喜びであり、張り合いになる。
ハイネは看護師の説明を受けながら、次の水曜日、夕方五時にという話になった。バリカンでも構わない、だがしかし、選択肢があるのなら、プロに頼んでそれなりの髪型にしてほしいと願うことに罪はないだろう。
そして、水曜日にハイネのもとにやってきたのは同世代くらいの女性だった。商売道具が入っているのだろう、アンティーク調のトランクを携えている。くすんだ水色のつなぎが印象的だ。作業着としてのつなぎはザフトで散々見飽きたが、おしゃれとしての彼女のつなぎ姿は、少し大きめでぶかぶかを可愛く見せるようなサイズ感。そのラフさに似合うヘアバンド。
彼女はにっこりと笑うと、当たり前のように片膝をついた。つなぎのせいもあってか、妙にそのポーズが勇ましくて感じられてとても似合う。ただ、表情は明るく人懐っこく、総評として彼女がかっこいいかといえば否であり、キュートといった方が正しい。鏡の中でその笑顔と目が合って、そのために膝を折ったのだと気づいた。
「本日、担当させていただくです。よろしくお願いします」
ミズ・キュートもとい、ははきはきとした口調でそう言うと、ハイネをさっそく鏡と向き合わせた。すでに、例の角刈りの、腕のたくましい看護師の手によって洗髪は済まされている。
カット用に用意された部屋は、建物の配置と鏡と太陽の角度のせいで、窓から差し込む夕日を微妙に浴びる形になる。ハイネが僅かに目を細めると、何も言わずとも彼女はカーテンを閉めた。察しがいい。
「ああ、夕日のせいだけじゃなくて、ハイネさんの髪ってとてもきれいなオレンジなんですね」
彼女は生乾きの髪を少し触ると、「前はこれくらいの長さで整えてましたか?」と指で示す。それはまさに丁度の位置だったので、ハイネは彼女の腕がいいことを確信した。
「そこらへんだったけど、どうしようかな」
「整えるだけにします?」
「ショートとボブと、どっちが良いと思う?」
「ハイネさんに似合うと思うのはボブでしょうか」
彼女が間髪あけずに答えたのは、プロゆえか、それとも今までの長さの好み踏まえてか。
髪型のお墨付きをもらう形になるが、一新したい気持ちもある。タブレット端末でヘアカタログも出してもらい、右へ左へスワイプしてページをめくる。う~ん……とハイネが悩む間、彼女は髪の毛を櫛で分け、生え癖を確認。それから頭の形を確かめるために掌で撫でていた。
「さん」
「はい、なんでしょう」
「さん個人として、ショートとボブと、どっちが好き?」
「……切るのはショートは好きですね。ボブが苦手だと言うわけではありませんが」
「じゃー、ばっさりいっちゃっていいや」
ショートにしよう、お任せで、さんのお好きなように。そう続けると、彼女は面を食らっていた。マスカラで束になった睫毛がぱちくりと元気に跳ねるのを鏡越しに観察する。
少し間をおいてから、彼女は「じゃあ、こういうのはどうでしょう」とヘアカタログからいくつか提案をする。それじゃあ、ベースはこれで、前髪だけこうして。そんなやりとりをして、カットして、ドライヤーをかけて、仕上がりを確認して。
「お疲れさまでした」
「こちらこそ。ありがとう、さん」
「……いえ、どういたしまして。よくお似合いです」
まだどこかワンクッション置くような彼女の物言いが気になって、ハイネはなんとなく「さん、この後は?」と問いかけた。
「ハイネさん」
「ん?」
「私は病院のお仕事は終わりです。今日は直帰の許可が出てるので……」
「ので?」
「あの、なので、今からはプライベートってことでいいですか?」
「あ、ごめん。深い理由はないから言わなくていいんだけど」
「いえ、仕事中に個人的な話をするのが、私の美学に反するだけです」
そう言って、彼女は深く深呼吸をする。
「……あの、いきなりこんなことを聞いて失礼だとはわかっているんですが、その……名前を呼ぶの、癖なんですか?」
彼女は絞り出すように聞く。鏡の中で目が泳いでいる。癖と言う人柄を問うような内容の質問を恥じるように、彼女は胸の高さできゅっとこぶしを握る。
「別に失礼とは思わないよ……癖、癖ねえ? そんなに名前呼んでたかな」
「呼んでました。私がお客様の名前を意識的に呼ぶのは、施術中にリラックスしていただいたり、『お客様』という不特定多数ではなく、『あなた』という個人を見ているというアピールだったり、そういう戦略的なものです。
でも、きっと一回しか会うことのない、一度しか名乗ってない、名刺も渡していない美容師の名前を何度も呼ぶのって……」
彼女は言葉尻を濁す。言いたいことが残っているのは定かで、ハイネは促すように彼女の言葉を繰り返す。
「呼ぶのって?」
「……呼ばれると、私みたいな馬鹿はどうかしちゃいます」
そう言って彼女はまだ髪の散らばる床に膝をついてしゃがみ込んで顔を伏せる。「それに、この後はとか聞くし……」
ハイネの体はまだ自由が利かない。椅子に座ったまま苦笑いをする。暇だったとして、どこに誘えるわけがない。彼女の体を抱き起こすようなことはできないし、できたとしても、これ以上勘違いをさせないために今の彼女にはしない方がいいかもしれない。
「名前と顔しか知らないのに……」
「髪質も知ってるじゃん」
「そうですね、そうですけど!」
一目ぼれを咎めるように、語気を強める気持ちもわからないでもない。はすくっと立ち上がった。つなぎについたオレンジ色の髪の毛を手で振り落とす。髪を切っていた時の丁寧な手つきとは違い、どこか雑でハイネへの未練を断ち切るようだ。
「頻繁にカットに通わなくてもいいように、伸びてもうまく纏まるようにしてあります! 以上です! ありがとうございましたっ」
そして彼女は看護師を呼びに部屋を出ていった。補助してくれる看護師がいないとハイネは自分の病室には帰れない。
ハイネは彼女の背中を見送ったあともドアを凝視する。白い扉は夕日に染められていた。
彼女は一目ぼれした自身に 顔から火が出るような、そういう態度だった。名前と顔と、それから髪しか知らないのに、と言う。しかしだ、髪を切ってもらうわずかな間に、彼女の名前と顔と職業と、それから、お客様の目線の高さまで身を屈める真摯さや、小さな仕草を見逃さない察しの良さや、公私を分ける美学を持っていることや、服のセンスがいいことをハイネは知っている。
きっと彼女も、指折り数え、言語化していないだけで、自分の『いいところ』を知っているのだろう。いや、察しのいい彼女が、情報を得ないはずがない。ただ、彼女の告白に応えられるわけではないので、その推察は黙っておこうと決める。
それに一目ぼれもロマンチックでいいじゃないか、と思うけれど、彼女は違うのだろう。
ややして、例の看護師とともにが掃除機をもって部屋へと返ってきた。先ほどはもうプライベートと言ってはいたが、部屋の片づけまでが仕事のようだ。
開口一番に看護師は「かっこよくなりましたね」と声をかけてくれる。本当にこの人はいい人だなとハイネは心の中で思う。
「さん、次もよろしく」
車椅子に移りながら彼女に声をかけたのは、彼の生来の人当たりの良いフランクな性格と、彼女の美容師としての腕を評価しての言葉だったのだが、また会いたいという意味にもとれる気付いた。意識していなかったが名前も呼んでしまった。
彼女もちょっとびっくりしている。しかし、きっと定型文なのだろう、滑らかに返答をした。
「その必要がないよう、早く退院してくださいね。お大事に」
にっこりと笑うの様子はサービス業としての満点で、一目ぼれが云々のさっきのやりとりは、ハイネの方がどうかしていた幻覚なんじゃないか。そんなことさえ思わせた。